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最新記事【2007年12月05日】

子供を見ていてわかったのですが・・・
あ、いや、私の子供じゃありませんよ。私は独り者ですから。
で、子供を見ていてわかったことなんですけど、
勉強ができない子供というのは、
自分で自分に「できない」と繰り返し言い聞かせていますね。
たとえば宿題かなんかで問題を解かなきゃならないというときに、
いわゆる勉強できない子供は、問題を見て一瞬で
「無理!」
と判定してしまいます・・・・・・おまえは超能力者かと。
なぜこんなことをしてしまうかといいますと、
おそらくこう言っておけば、努力せずにすむと思っているからなんでしょう。
でもこれを大人になるまで続けてしまうと、
ほとんど致命的な心の習慣となってしまいそうです。

「できない」と十数年も自分で自分の脳に言い聞かせるのですから、
知力の発達も鈍いものにしてしまうことでしょう。
自業自得とは言え、悲劇です。
さらに恐ろしいことは、上で言いました心の習慣の形成です。
もう、大人になっても、何か新しいことに挑戦する前から
それが不可能であるという理由を見つけ、
とにかく自ら進んで自分のやる気を殺してしまうようになります。
こうなるともう、一生苦しまなくてはならないでしょう。
今の生き方が間違っていると薄々気づいても、自分では何もできない。
そのフラストレーションは蓄積される一方で、
ときに心や体を壊すこともあるでしょうね。

言葉というのは大事です。
使い方に気をつけなければなりません。

基本や型の重要性を主張した本は齋藤孝さんや三田紀房さんが出していますね。
これは、「ゆとり教育」が「個性、個性」といっていたものに
反論するものとなっています。

いや、ゆとり教育以前から、オリジナリティーとか独自性とかが尊重され、
型にはまった人間はダメなんだとよく教えられたものでした。
そんなの人の物真似じゃないか。オリジナルがいいんだよ。
という感じです。

しかし、基本や型といったものは意味がないかというとそんなことはありません。

私は昔剣道をやっていましたが、剣道の練習のほとんどは
基本的な型の修得に費やされます。
足捌きや、素振り各種を何年たってもやらされます。
そして打ち込み稽古。面とか籠手とか胴とか籠手面とか、
決まりきった打ち方を延々と繰り返します。
守・破・離なんて言葉がありますが、小中学生のころはひたすら「守」、
つまり基本を愚直に繰り返すということをするんですね。
素振り三段という言葉もありますが、その練習を飽かず繰り返した人が強くなっていきます。
それをせずに試合稽古だ試合稽古だといっている人は、あまり強くなりません。

これは何を意味しているのか?
基本や型といったものは、その分野で何十年何百年もかけて洗練された
「コツの集大成」「知恵の蓄積」といえるのではないでしょうか。
つまり上記剣道の例で言えば、一見遠回りでも、凡人にとっては最短距離で
強くなれる方法だったのです。

しかしこの基本や型を軽視する風潮が長いこと続いたわけです。
それよりも自分独自のやり方のほうが価値があると。
しかし、基本を10年修行した剣士に、棒を握った素人が打ちかかっていって、
勝てる確率というのはいかほどのものでしょうか。
余程の天才なら期待していいでしょう。一万人に一人くらいの。
しかし自分にそれを期待して、基本や型をないがしろにするのは
勝ち目の薄い賭けですね。

剣道に限ったことじゃありません。
基本や型を学ばずして物事に当たろうとする場合、
自分だけ原始人と同じ条件で他の現代人と競争しようとしていることになる、
そう考えるべきではないでしょうか。
型破りになるのは型を修得してからでも遅くはありません。

おもえば型を軽視する教育が行われたこと自体、誰かの陰謀のような気がしてきます。

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